ごみ処理の仕組みは、どの国でも同じではありません。公衆衛生の向上、犯罪対策、資源の有効利用、土地不足など、それぞれの国や地域が抱えてきた課題が、現在の制度や仕組みを形づくってきました。今回は、世界各地の事例を通して、その仕組みが生まれた理由や成り立ちをたどります。
~目次~
・白い収集車は「清潔」の象徴だった(アメリカ・ニューヨーク)
・「ごみ箱」は人の名前だった(フランス)
柱
・マフィアとの闘いが廃棄物行政を変えた(イタリア)
・土地不足が生んだ、ごみ処理の仕組み(シンガポール)
・景観を守るため、ごみは地下へ(オランダ)
・「作る人が責任を負う」という発想(ドイツ)
・ごみ処理を変えた「東京ごみ戦争」(日本)
白い収集車は「清潔」の象徴だった(アメリカ・ニューヨーク)
現在でもニューヨーク市のごみ収集車には白い車体が多く見られます。この「白」には、19世紀後半の衛生改革に由来する歴史があります。
当時のニューヨークでは、ごみや馬のふんが路上にあふれ、悪臭や感染症が深刻な社会問題となっていました。1895年、衛生局長ジョージ・ウェアリングは清掃制度の改革に着手し、作業員に白い制服を着用させます。白は汚れが目立つ色ですが、それだけに「清潔さ」を市民へ示す象徴でもありました。作業員たちは「ホワイト・ウィングス(白い翼)」と呼ばれ、清掃の重要性を広く印象づけたとされています。
一方、20世紀後半には、商業ごみの回収事業を犯罪組織が支配し、不当な契約や価格操作が問題となった時代もありました。その後の摘発や制度改革を経て、現在の健全な事業環境へと整備が進められました。

白い制服を着たニューヨーク市の清掃作業員「White Wings」
出典 bowery boys history

現在のニューヨーク市清掃局(DSNY)の白いごみ収集車
出典 good news network
「ごみ箱」は人の名前だった(フランス)
フランス語でごみ箱は「プベル(Poubelle)」といいます。この言葉は、実は人の名前に由来しています。
1883年、セーヌ県知事だったウジェーヌ・プベルは、家庭ごみをふた付きの容器に入れ、決められた時間に出すことを義務付ける命令を公布しました。当時のパリでは、ごみを路上へ捨てる習慣が残っており、公衆衛生の改善が大きな課題となっていたためです。
制度の導入当初は市民や家主から反発を受け、新聞や風刺雑誌でも話題となりましたが、やがて家庭用ごみ箱は市民生活に定着し、「プベル」という姓がそのまま「ごみ箱」を意味する言葉として使われるようになりました。

ウジェーヌ・プベル (1831 – 1907)
出典 meisterdrucke

20世紀前半のフランスの家庭用ごみ箱
出典 le parisien
マフィアとの闘いが廃棄物行政を変えた(イタリア)
イタリア南部・ナポリでは、2007~2008年に街中へごみが積み上がる「ナポリごみ危機」が発生し、世界的なニュースとなりました。
背景には、焼却施設の不足や行政運営の混乱に加え、犯罪組織「カモッラ」が廃棄物ビジネスへ深く関与していたことがありました。不法投棄や違法な廃棄物処理によって利益を得る構図は、「エコマフィア(Ecomafia)」と呼ばれ、環境犯罪として国際的にも知られています。
その後、イタリアでは環境犯罪に対する法整備が進められ、2015年には環境犯罪を厳しく処罰する法律が施行されました。現在では、イタリアの国家憲兵(カラビニエリ)の専門部隊が不法投棄や違法な廃棄物処理の監視・摘発を行っています。

ごみで溢れかえったナポリの街(2008)
出典 MMC RTV Slovenija
土地不足が生んだ、ごみ処理の仕組み(シンガポール)
東京都23区程の国土を持つシンガポールでは、「ごみを埋める土地をどう確保するか」が長年の課題となっていました。
そのため、ごみの多くを焼却して体積を約90%減らし、限られた土地を有効に活用する仕組みを採用しています。焼却後に残る灰などは、1999年に2つの島の間を堤防で囲んで造成されたセマカウ埋立地へ運ばれます。
この人工の最終処分場は、海洋環境への影響にも配慮して整備・運営されており、現在では環境学習や自然観察の場としても活用されています。

約6,300万立方メートルの容量を持つ「セマカウ埋立地」
出典 radar jabar
景観を守るため、ごみは地下へ(オランダ)
オランダの都市部を歩いていると、日本のように道路脇へ家庭ごみの袋が並ぶ光景をあまり見かけません。
その理由の一つが、地下式のごみコンテナです。住民は家庭ごみを地上の投入口から捨てると、ごみは地下に設置された大型コンテナへたまります。収集日になると、クレーン付きの収集車がコンテナを引き上げ、短時間で回収していきます。
この仕組みは、景観の保全だけでなく、臭いやカラス・ネズミの被害を抑え、道路上にごみ袋を置かないことで歩行者や自転車が通行しやすくなるなど、多くの利点があります。
さらに、運河が張り巡らされたアムステルダムでは、ごみの運搬に船を活用する取り組みも行われています。道路の混雑を避けながら効率よく回収できるため、都市の特徴を生かした方法として注目されています。

クレーン付きのごみ収集車が地下コンテナを引き上げる
出典 pikabu

水路を利用した家庭ごみの収集・運搬(アムステルダム)
出典 amsterdam sebinnenstad
「作る人が責任を負う」という発想(ドイツ)
1991年、ドイツでは包装廃棄物に関する制度が導入され、「生産者責任」という考え方が大きく前進しました。その象徴が、包装に表示される「グリーンドット(Green Dot)」です。このマークは「この容器がリサイクルされた」という意味ではなく、メーカーが包装の回収・リサイクル費用を負担していることを示しています。
それまでは、ごみ処理は自治体や消費者が担うものという考え方が多くの国で一般的でした。しかしドイツで、「製品を作る側に責任がある」という考え方が制度として取り入れられてから、世界各国で拡大生産者責任(EPR)の考え方が普及しました。

グリーンドットマーク
出典 logoeps
ごみ処理を変えた「東京ごみ戦争」(日本)
「ごみ戦争」という言葉をご存じでしょうか。1971年、東京都の美濃部亮吉知事は、深刻化するごみ問題に対し「ごみ戦争」を宣言しました。当時は高度経済成長によってごみの量が急増していましたが、焼却施設の整備が追いつかず、多くのごみが東京湾の埋立地へ運ばれていました。
特に問題となったのが、江東区への負担の集中です。当時、江東区には夢の島をはじめとする埋立地や清掃施設があり、杉並区や新宿区など23区の多くで発生したごみが運び込まれていました。一方、住宅地の多い杉並区では清掃工場の建設が住民の反対などで進まず、江東区では「なぜ一部の地域だけがごみ処理の負担を引き受けなければならないのか」という不満が高まります。1972年と1973年には、江東区が杉並区のごみ搬入を実力で阻止し、自治体同士の対立へと発展しました。
その後、東京都は「自区内処理の原則」を掲げ、各区で清掃工場の整備を進めました。杉並区でも住民との和解を経て清掃工場の建設が実現し、ごみ戦争は収束へ向かいます。この出来事を契機に、東京では焼却施設の整備が進み、現在の23区のごみ処理体制の基礎が築かれました。

結集する江東区民

区外からのごみ収集車を止める江東区民
出典 Medium
編集後記
このように、先進国では、ごみが市中に放置されることによる公衆衛生や自然環境、景観への悪影響を防ぐため、法制度や行政サービスが整備されています。しかし、その成り立ちをたどると、国や地域によって現在の制度や仕組みが築かれた背景はさまざまで、その違いを知るのは興味深いものです。
また近年では、欧州諸国や日本では、廃棄物に関する国の施策は、「公衆衛生の維持」や「環境保全」だけでなく、「再生資源としてごみを循環利用する」という『サーキュラー・エコノミー(循環経済)』の考え方を取り入れたものへと広がっています。
最後に本コラムの内容を1枚にまとめたニュースレターを添付しますので、ご参照ください。
ニュースレター_2026.7
令和8年7月23日
株式会社リーテム
法務部
加藤 翠
リーテムのサービスのご紹介

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